1億円貯めて、会社を辞めました。

【毎日極楽】いかにして1億円を貯金し、60歳からの早期リタイアの日々を幸せに過ごしているか

生徒の負担を減らすゆとり教育は失敗だったが、自分がわからなかった三角関数は不要だという矛盾


 ところで、教育内容の見直しという点では、つい数年前まで「ゆとり教育」というのをやって、失敗したのではなかったか。

 受験偏重教育を見直すということで、理念はなかなか優れたものだと思ったが、それまで詰め込み教育しかやったことのない、現場の教師の能力も準備もついていけなかったように思う。
 挙げ句の果てに、円周率を、3.14ではなく3だと教えたなどというデマが広がり、これでは日本の学生の知的レベルが下がるといった大批判が出て、数年で元の教育内容に戻ってしまった。
 三角関数を高校で教えないことは、円周率を3だと教えるより、余程、日本の学生の知的レベルを落とす行為という気がする。


 尚、個人的には、円周率は3で充分だと思う。
 仕事以外の実生活で、3より下の桁を使ったことはないからだ。

 

 ちなみに、「高校までに何を学習させるべきか」という内容は、恐らく文科省の文系出身の役人だけが決めるものではなく、理系の偉い先生に意見を聞きながら決めるだろう。

 だが、理系や数学の先生が、「高校での三角関数は不要」ということは、まずないと思う。
 三角関数は、数学の基本的な概念の一つであり、理系に少しでも関連する仕事に就く以上、知らないではすまされないからだ。

 

 それにしても、今回の三角関数不要論が、維新の会の議員から出たことに、既視感を抱いてしまう。
 というのも、維新という組織は、行政の無駄を省くということを声高に主張して、ここまで大きくなってきたからだ。
 何事も、効率最優先で進めるべきであり、効率が悪いものや、一般的な多数派の人に理解できないものは、やめてしまえという傾向が、かなり強い。


 維新創設者の橋下徹氏が、大阪市長のときに、文楽助成金を撤廃したのも、その一環であろう。

 次は、何を無駄だからなくそうと言うのか、その近視眼的なポリシーに、ある種の危機感を覚えないでもない。

www.news-postseven.com

 話は変わるが、鹿児島の知事は、「高校で女子にサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」と発言した。

 これは、効率的とか無駄とかいう話ではなく、そもそも女子に高等教育が必要かという話で、いかにも男尊女卑の、鹿児島というイメージそのままである。

wotopi.jp

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またまた出ました、三角関数不要論

 日本維新の会の藤巻健太衆院議員が、ツイッターに、「三角関数よりも金融経済を学ぶべきではないか」と投稿したことが、しばらく前に話題になった。
 ググれば、賛成意見や反対意見が、星の数ほど出てくる。

digital.asahi.com

 高校までで、何を学ぶべきかというのは、人それぞれに意見があろうが、三角関数は、特に槍玉に挙げられることが多く、何年かに一度、忘れた頃に不要論が出てくるものらしい。

 今から50年以上前の1968年に発売された、高石ともやの「受験生ブルース」という曲にも、「サイン コサイン 何になる」という歌詞があるほどなのだから。

 

 但し、三角関数に限らず、高校まで苦労して身に着けながら、社会に出てからの40年間、一度も使ったことのないものは、いっぱいある。

 最も一般的に思いつくのが、古文や漢文であろう。
 平家物語では「祇園精舎の鐘の声」、論語では「朋有り、遠方より来たる」と、無理やり覚えさせられたが、意味はよくわかっていないし、その先はうろ覚えである。

 もちろん、その後は使ったことはない。


 歴史も然りだ。
 「1192(いいくに)作ろう鎌倉幕府」は、今では、「1185(いいはこ)作ろう」になっていると言うが、我々が生活する分には、どちらでも困りはしないし、やはり使ったこともない。


 歴史や古文は、まだいい。
 時代が下っても、内容が、そうそう変わらないからだ。
 地理などは、もっとひどい。
 新潟県の米の生産量がいくらと習っても、そんなものは、20年も過ぎれば変わってしまうし、今では全く役に立たなくなっている。


 なのに、なぜ古文や、歴史、地理などの不要論が出ないかと言えば、覚えるだけの授業が大半だから、誰でもそれなりに点が取れるからである。

 ところが、三角関数を始めとする数学は、そうはいかない。
 ある程度の理屈を理解していないと、一問も解けなかったりする。
 多くの(特に文系の)人たちにとって、三角関数が、あまりに難しかったという記憶が残っているために、三角関数不要論が、何度も甦ってくるのだろう。
 その上、抽象的過ぎて、「何に役に立つか」がわからないため、学ぶ気になれないということではないか。
 それを解消するためにも、特に数学などは、「何に役に立つか」を、一緒に教えた方が、いいかもしれない。

 

 尚、「自分は文系だから、理系には関係のない仕事をする」と考える人もいるかもしれないが、人生、どこでどう転ぶかわからない。
 出版社に就職しても、ブルーバックスの編集をするかもしれないし、市役所に就職しても、公共事業がらみの仕事をするなら、測量などで必要となってくる。


 将来、何がどうなるかわからないから、その時に「概念さえもわからない」ということにならないように、高校までの教育は存在するのである。

 

(続く)

 

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「王様の仕立て屋」に見る、説教臭さと、苛めについての考察

 「王様の仕立て屋」というマンガがある。

 集英社のジャンプ系の雑誌で、2003年頃から連載されている、男物のスーツ専門の仕立て屋を主人公とした作品だ。

ja.wikipedia.org

 主人公は、イタリアのナポリで、神様と呼ばれた仕立て屋の唯一人の弟子だった日本人で、織部悠と言う。

 彼が、師匠譲りの、神のような仕立て技を駆使して、様々なスーツに関するトラブルを解決していくというストーリーだ。

 

 舞台は、主にイタリア(たまにヨーロッパの他国やアメリカ)だったが、最近、日本を舞台に変えて連載を続けており、単行本は、何と60巻以上も出ている。

 単行本で読んでいると、カラーではないために、色の工夫などが全くわからないので寂しいものがあるが、男物のスーツだけを題材に、これほど話を続けるのは、大したものだと思う。

 

 さて、この作品、欧米を舞台にしていた頃は、向こうのスーツ事情みたいなものが、「そうなんだ」という感じで、様々な蘊蓄を楽しめた。
 ところが、日本が舞台になってから、どうも、爽快感がなくなってきた気がする。


 一つには、日本でのスーツ文化がさほど成熟しておらず、理屈を大上段に振りかざされても、ピンと来ないということがある。

 織部の仕立て技術の「凄さ」は、一般人では、すぐには理解できない。
 その凄さを強調するためには、マンガの中で、それを解説する人間が必要だ。
 欧米を舞台にしていたときは、その役割を、向こうの貴族や大富豪などが担っていた。
 読者は、よくわからないでも、雰囲気と相まって、「ふーん、そうなのか」と感心してしまうだけの説得力があった。


 ところが、日本ではその役割を担う人間が、どうも様にならない。
 貴族はいないし、大富豪といっても、一代限りのIT長者では、明らかに役者不足、政治家となると論外である。
 そのため、織部のセリフが増え、くどくなってきているのではないかと思う。
 「スーツなんか、何でもいいだろう」と思っている人間が大半の国で、空回りをしている感じである。
 しかも、相手の仕事の姿勢に対してまで踏み込み、説教じみたことを言うものだから、益々爽快さがなくなってくる。

 

 さて、実は、ここからが本題になる。
 この作品の日本編については、もっと気にかかって仕方のないことがあるのだ。


 日本で織部は、かつて技術を学んだ、老仕立て屋(現在は引退して出奔)のテーラーに、居候をしている。
 老仕立て屋には、女子高生の孫娘がいるのだが、織部が彼の元で修業していた頃(当時彼女は小学生)に、祖父に、「ケメ子」というあだ名をつけられてしまった。
 再会後、織部は、彼女が嫌がっているにも拘わらず、常にそのあだ名で呼び続けるのである。

 しかも、そのときの彼女の反応を、面白がっているふうさえある。

 

 ちなみに、ケメ子というのは、昔のヒット曲の登場人物で、語呂もよくないが、性格も、あまり好ましい女の子ではない。

 自分が、年頃の女の子だったとしたら、10人中9人が嫌がりそうな、あだ名である。

 それを、女子高生に、これでもかと突きつけるのだ。

 相手が嫌だと明言しているのに、そのあだ名で呼ぶというのは、苛めの第一歩であろう。
 そういう人間に、スーツに関してばかりか、仕事の姿勢にまで文句をつけられたら、「お前が言うな」と、感じずにはいられないのである。

 YouTubeにも歌があるので、興味のある人は、検索してみるといい。

 そして、このあだ名で呼ばれ続けたら、どんな気分になるかを、想像してもらいたい。
www.uta-net.com

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安倍元総理は、人の言うことをよく聞く、優しい人物だった(但し、子分に限る)

mainichi.jp 公明党太田昭宏前代表が、銃撃で亡くなった安倍元首相を悼んだ文章を、新聞に載せていた。
 その中に、以下のような記載があり、強烈な違和感を覚えた。

安倍氏はよく「強権的だ」と言われたが、実際はそれとは対極の人だった。
>人の話をよく聞き、本もよく読んでいた。
>本当に優しい人で、例えば落選中で苦労している同僚に声を掛けるなど、周囲に細かく気を配る人だった。 

 

 安倍氏が、人の言うことをよく聞いていたというのは、本当だと思う。
 恐らく、人に優しいのも、本当だと思う。
 問題は、聞く相手も優しいのも、「自分のお友達」にだけ、限られていたことだ。
 徹底的に、自分と考えが同じ人の、言うことしか聞かなかった印象がある。

 

 国会では、「正解は、これしかない」と主張し、野党など反対勢力に対して、頭から馬鹿にしたような態度で臨んでいた。
 民主党政権を「悪夢」と呼び、選挙演説で野次を飛ばした相手には、「こんな人たち」と呼んで、警察官に排除させた。
 保育園に落ちた、女性の言うことなど、全く耳を傾けなかった。
 味方にしか、とことん優しくなかったのだ。

 

 もちろん、政治家だから、それが、全面的に悪いとは言わない。
 だが、味方(というより、半分子分)である、公明党の前代表の太田氏が、「安倍さんは人の言うことをよく聞いた」と主張するのは、違うだろうと言いたいのである。
 彼が、敵対勢力だったら、歯牙にもかけなかったに違いない。

 

 太田氏の言っていることは、「親分は、世間からは恐れられ、嫌われてているけれど、わしらには優しかった」という、ヤクザのセリフとそっくりである。
 「俺の言うことを、大人しく聞いていれば、優しくしてやる」という理屈だ。
 ヤンキーの世界も、この理屈でできている。
 「親しくつき合えば、本当は優しくていい人」なのかもしれないが、その優しさが、自分に都合のよくない人間に向けられることは、金輪際ないのである。

 

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新聞の誌面は、なぜここまで野球ばかりなのか。

 日本では、昔からスポーツと言えば、圧倒的に野球だった。

 私の少年時代などは、休み時間になると、野球ばかりやっていた気がする。

 国技は相撲ということになっているが、別に法律などで決まっているわけではない。
 相撲人気と野球人気を比べれば、圧倒的に野球の方が人気が高い。
 最近では、サッカーの人気が高くなってきたし、女性では、バレーボールも人気があるようだとはいえ、相変わらず、野球の人気は圧倒的である。


 それを如実に示しているのが、新聞のスポーツ欄である。
 相撲の場所がないある日の、総合新聞のスポーツ欄(見開き2面)を、内容で色分けしてみたのが、下の図だ。


 紙面に占める面積を比較すると、プロ野球が45%、その他の野球が6%で、両者を合わせると半分以上を占める。

 

 スポーツと言えば野球しかなかった時代と違い、サッカーを始めとするそれ以外のスポーツにも人気が出てきたというのに、これはひどいと言わざるを得ない。

 高校野球の甲子園大会をやっていたときには、もっとひどかった。

 通常のスポーツ欄と別に、見開き2面を使って、甲子園大会の特集をするから、7割くらいが野球となるのである。


 この日は、Jリーグをやっていたこともあり、サッカーが2位となっている。
 プロ野球と同じく、6試合もやっているのにも拘わらず、記事が占める面積は、野球のわずか4分の1である。

 何しろ、プロ野球は、チームの順位だけでなく、出場した全員の名前から個人成績まで、ほぼすべての記録が詳細に出ているのに対し、サッカーは、メンバーの名前すらも出ていない。

 あまりに、気の毒でならない。

 

 ただ、以前は、もう少し他のスポーツにも、誌面が割かれていたような気がする。
 もしかすると、野球と言えば年寄りに人気で、新聞を読むのは年寄りばかりだからということで、読者層に合わせて誌面をシフトさせてきたのかもしれない。

 

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【検証】これが、「繰り上げ受給をしても年金を増額できる」方法だ?

 さて、いよいよここからが、著者独自の見解というか、記事の本論になる。

dot.asahi.com

・世の中は、75歳まで年金なしで暮らせるゆとりのある人ばかりではなく、無理に繰り下げをして貯蓄を取り崩したのでは、老後の暮らしを不安定にしてしまう。


・それを防止するために、「65歳まで働き」、かつ、働きながら、元気に活動できるうちにお金をより多く使える、60歳繰り上げ受給も選択肢に入れるといい。というのも、これまでは、年金と給与の合計額が月額28万円を越えると、超えた額の2分の1が厚生年金からカットされていたが、2022年4月から、月額47万円までなら、全額支給となった。


・繰り下げ受給をする場合は、まず1年だけ繰り下げて、66歳からの年金受給開始を目指し、以降は、支出に合わせて、年金の受給開始時期を、夫婦で毎年検討しよう。

 

 このように、読んだ限りでは、どうすれば繰り上げ受給によって年金が増えるのか、どうにもわからないのである。

 どうも、「65歳まで働き続ける」ことにより、受給額を増やせるということのようだ。

 もちろん、その間は、厚生年金に加入し続けなければならない。

 

 では、5年間で年金はいくら増えるのかというのを、調べてみた。

www.nomura.co.jp

 年収が360万円程度であれば、月に1万2千円(年間14万4千円)、600万円程度であれば、月に1万6千円(年間19万2千円)以上が増額されるというのだから、ちょっとしたものだ。

 

 但し、年金は、受給を1ヶ月繰り上げるたびに、0.5%が減額されるということは、覚えておかなければならない。

 即ち、受給を5年間繰り上げて、60歳から年金をもらい始めた場合、0.5%*12*5=30%がカットされるのだ。

 65歳受給開始の場合に、受給額が厚生年金の平均である200万円とすると、60歳に繰り上げ受給した場合、年に60万円(月5万円)が減額されて、受給額は140万円となる。

 どう考えても、こちらの影響の方が大きい。

 繰り上げ受給で減額される分は、65歳まで働いたからといって、簡単にカバーできるような金額ではないのである。

 

 結局、この記事では、「年金を増やす裏技」などなくて、「65歳まで働けば、その分の年金が増額される」ということしか、言っていないような気がする。

 充分な貯金がない限り、「65歳(場合によっては70歳かそれ以上)までは、働かざるを得ない」のは、どうしようもないことなのだ。

 

 但し、「何が何でも、75歳まで繰り下げると決めず、毎年、夫婦で家計を確認して、事情に合わせてライフプランを修正していく」というのは、万人に通じる基本原理であるとは、言えるだろう。

 

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【検証】「繰り上げ受給でも年金額を増やす方法」とは、どんな凄いマジックなのか。

 私(以下、筆者)は、常々、「貯金がある限り、年金をもらうのを控えて、できれば75歳まで繰り下げ受給をしたほうがいい」と言っている。
 繰り下げ受給をすればするほど、もらえる年金が増え、長生きのせいで将来が不安になる、「長生きリスク」を減らすことができるからだ。

 

 ところが、「繰り上げ受給でも年金額を増やす方法はある」という、驚くような内容の記事があったので、興味を惹かれて読んでみた。

dot.asahi.com

 記事の著者(以下、著者)は、内藤眞弓というFPで、以前にも紹介した通り、この人の本は、2冊読んだことがある。

chotiku.hatenablog.com

 どちらの本も、具体的で、非常に役立つという印象であり、著者の考え方も、地に足がついた、的確なアドバイスをする人に感じられた。

 ところが、本記事に関しては、内容が、どうにもよく理解できなかった。

 

 著者の言い分を、まとめてみた。
 正確にまとまっていないようであれば、文責は筆者にある。

 また、<>内は、筆者の補足である。

 

 まずは、既知の情報を紹介している。
・65歳で年金をもらい始める場合と、75歳まで繰り下げ受給する場合の損益分岐点は、85歳前後であり<85歳より長生きすれば、繰り下げ受給の方が得>、男性は83歳から87歳あたりが、女性は90歳前後が、死亡数のピークとなる。

 

・繰り下げを待っている人が死んだ場合、遺族は未支給年金を受け取れるが、繰り下げによって増額した分ではなく、本来の年金額しか受け取れず、しかも時効があるので過去5年分のみとなる。


 <極端な話、75歳まで繰り下げ受給するつもりだったのが75歳直前で死ぬと、遺族は、65歳から受け取っていた筈の割り増ししていない年金を、70歳から75歳までの5年分しか受け取れず、65歳から70歳までの5年分は受け取れない。本来の年金額が年200万円だとすると、65歳から75歳まで2千万円受け取れる筈だったのが、5年分の1千万円は損をする>

 

 ここだけ読めば、癌などで、75歳までに死ぬような見込みがあれば、早目にもらった方が、かなり得ということだ。

 だが、余命宣告されても、意外に長生きする人もいる。

  75歳以降も生きていれば、繰り下げ受給しない場合に比べて、年に168万円も多い年金をもらうことができる。

 自分の死後に「遺族が」もらえなかった1千万円と、年に168万円の増額と、どちらを取る方が得かは、誰にもわからない。

 

 著者自身、「寿命が分からない以上、正解はありません。」と書いているように、長生きするかどうかは、結果論でしかない。

 繰り下げ受給の方向で、ライフプランを構築しておいたがほうが、リスクは少ないというのは、間違いないのである。

 明日の記事は、いよいよ「繰り上げ受給でも年金額を増やす方法」についてである。

(続く)

 

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