ところで、教育内容の見直しという点では、つい数年前まで「ゆとり教育」というのをやって、失敗したのではなかったか。
受験偏重教育を見直すということで、理念はなかなか優れたものだと思ったが、それまで詰め込み教育しかやったことのない、現場の教師の能力も準備もついていけなかったように思う。
挙げ句の果てに、円周率を、3.14ではなく3だと教えたなどというデマが広がり、これでは日本の学生の知的レベルが下がるといった大批判が出て、数年で元の教育内容に戻ってしまった。
三角関数を高校で教えないことは、円周率を3だと教えるより、余程、日本の学生の知的レベルを落とす行為という気がする。
尚、個人的には、円周率は3で充分だと思う。
仕事以外の実生活で、3より下の桁を使ったことはないからだ。
ちなみに、「高校までに何を学習させるべきか」という内容は、恐らく文科省の文系出身の役人だけが決めるものではなく、理系の偉い先生に意見を聞きながら決めるだろう。
だが、理系や数学の先生が、「高校での三角関数は不要」ということは、まずないと思う。
三角関数は、数学の基本的な概念の一つであり、理系に少しでも関連する仕事に就く以上、知らないではすまされないからだ。
それにしても、今回の三角関数不要論が、維新の会の議員から出たことに、既視感を抱いてしまう。
というのも、維新という組織は、行政の無駄を省くということを声高に主張して、ここまで大きくなってきたからだ。
何事も、効率最優先で進めるべきであり、効率が悪いものや、一般的な多数派の人に理解できないものは、やめてしまえという傾向が、かなり強い。
維新創設者の橋下徹氏が、大阪市長のときに、文楽の助成金を撤廃したのも、その一環であろう。
次は、何を無駄だからなくそうと言うのか、その近視眼的なポリシーに、ある種の危機感を覚えないでもない。
話は変わるが、鹿児島の知事は、「高校で女子にサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」と発言した。
これは、効率的とか無駄とかいう話ではなく、そもそも女子に高等教育が必要かという話で、いかにも男尊女卑の、鹿児島というイメージそのままである。