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「王様の仕立て屋」に見る、説教臭さと、苛めについての考察

 「王様の仕立て屋」というマンガがある。

 集英社のジャンプ系の雑誌で、2003年頃から連載されている、男物のスーツ専門の仕立て屋を主人公とした作品だ。

ja.wikipedia.org

 主人公は、イタリアのナポリで、神様と呼ばれた仕立て屋の唯一人の弟子だった日本人で、織部悠と言う。

 彼が、師匠譲りの、神のような仕立て技を駆使して、様々なスーツに関するトラブルを解決していくというストーリーだ。

 

 舞台は、主にイタリア(たまにヨーロッパの他国やアメリカ)だったが、最近、日本を舞台に変えて連載を続けており、単行本は、何と60巻以上も出ている。

 単行本で読んでいると、カラーではないために、色の工夫などが全くわからないので寂しいものがあるが、男物のスーツだけを題材に、これほど話を続けるのは、大したものだと思う。

 

 さて、この作品、欧米を舞台にしていた頃は、向こうのスーツ事情みたいなものが、「そうなんだ」という感じで、様々な蘊蓄を楽しめた。
 ところが、日本が舞台になってから、どうも、爽快感がなくなってきた気がする。


 一つには、日本でのスーツ文化がさほど成熟しておらず、理屈を大上段に振りかざされても、ピンと来ないということがある。

 織部の仕立て技術の「凄さ」は、一般人では、すぐには理解できない。
 その凄さを強調するためには、マンガの中で、それを解説する人間が必要だ。
 欧米を舞台にしていたときは、その役割を、向こうの貴族や大富豪などが担っていた。
 読者は、よくわからないでも、雰囲気と相まって、「ふーん、そうなのか」と感心してしまうだけの説得力があった。


 ところが、日本ではその役割を担う人間が、どうも様にならない。
 貴族はいないし、大富豪といっても、一代限りのIT長者では、明らかに役者不足、政治家となると論外である。
 そのため、織部のセリフが増え、くどくなってきているのではないかと思う。
 「スーツなんか、何でもいいだろう」と思っている人間が大半の国で、空回りをしている感じである。
 しかも、相手の仕事の姿勢に対してまで踏み込み、説教じみたことを言うものだから、益々爽快さがなくなってくる。

 

 さて、実は、ここからが本題になる。
 この作品の日本編については、もっと気にかかって仕方のないことがあるのだ。


 日本で織部は、かつて技術を学んだ、老仕立て屋(現在は引退して出奔)のテーラーに、居候をしている。
 老仕立て屋には、女子高生の孫娘がいるのだが、織部が彼の元で修業していた頃(当時彼女は小学生)に、祖父に、「ケメ子」というあだ名をつけられてしまった。
 再会後、織部は、彼女が嫌がっているにも拘わらず、常にそのあだ名で呼び続けるのである。

 しかも、そのときの彼女の反応を、面白がっているふうさえある。

 

 ちなみに、ケメ子というのは、昔のヒット曲の登場人物で、語呂もよくないが、性格も、あまり好ましい女の子ではない。

 自分が、年頃の女の子だったとしたら、10人中9人が嫌がりそうな、あだ名である。

 それを、女子高生に、これでもかと突きつけるのだ。

 相手が嫌だと明言しているのに、そのあだ名で呼ぶというのは、苛めの第一歩であろう。
 そういう人間に、スーツに関してばかりか、仕事の姿勢にまで文句をつけられたら、「お前が言うな」と、感じずにはいられないのである。

 YouTubeにも歌があるので、興味のある人は、検索してみるといい。

 そして、このあだ名で呼ばれ続けたら、どんな気分になるかを、想像してもらいたい。
www.uta-net.com

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