部長になった場合と、平写真で終わった場合を比較し、いかに差があるかという記事が出ていた。
50台平社員の年収が、推定560万円、部長になれば年収は推定970万円で、年間400万円もの差がつく。
それを考えれば、「出世には興味なし」と言うのは、負け組の痩せ我慢だというわけだ。
恐らく、興味を持たせるために、わざと煽るような書き方をしているのだろうが、「お金」、「お金」で、いかにも品がない。
これを書いたのは、幻冬舎の、SGO(資産ゴールドオンライン)編集部の記者だそうだ。
では、同社では同期入社のうち、何割くらいの人間が、部長になれるのだろうか。
何しろ、かつての高度成長期のように、大抵の人間が課長になっていた時代とは違い、「課長になれる確率は10~20%、部長になれる確率は1~2%」だそうである。
私のいた会社でも、同期で部長になれたのはかなり限られた人間で、大半の人間は、課長にもなれない、「役なし管理職」だった。
10年ほど後の、40代から50代の世代では、事情がはるかにひどくなっている。
そもそも、「役なし管理職」になれるのさえ、半数くらいとなっていた。
それに、夫が年収560万円として、妻がフルタイムで働いて4百万円稼げば、部長と同じくらいの世帯年収になる。
それでいて、世帯の年金額は、部長1人分よりも遥かに上だ。
加えて、2馬力なら、たとえ1人がリストラされたり病気になっても、何とでもなる。
また記者は、「50代で役職もない立場であれば、本来は肩身の狭さを感じるもの」と言っているが、幻冬舎という会社は、そういう雰囲気なのだろうか。
そんな会社を、あまり羨ましいとは思えないのだが、それも、出世欲の強い記者には、負け惜しみに感じるのかもしれない。
もちろん、仕事に燃え、部長職を目指すのは、一つの生き方であろう。
だが、今の日本の会社では、自分の時間も家族もすべてそのために費やし、滅私奉公するほどではないと、部長にはなれない仕組みになっている。
確率1~2%、しかも在職できるのは数年という、こう言っては悪いが、たかが部長職のために、そこまで人生を捧げる気にはなれない。
仕事は生活の糧を稼ぐためのものと割り切り、残業などせずに有給をすべて使い、家族と自分のために仕事以外の生活を楽しむのも、立派な人生だと思う。
そして、これからは、そういった価値の人が、増えてくるのではないかと思っている。