「ゼロで死ね」という本が、話題になっている。
死ぬ前に、お金を全部使いきって死ねというものだ。
自分の時間を犠牲にしても、ひたすらお金を貯めて、子孫に残すことが美談とされる日本では、考えにくい思想だと思ったら、書いたのはアメリカ人らしい。
我が家も、子供ができなかったので、子孫にお金を残す必要はなく、できれば全部使いきって死にたいと思っている。
素晴らしい考え方だが、問題は、いかにしてそれを実現するかという、手段が見当たらないというところであろう。
なぜ難しいかと言えば、自分がいつ何歳で死ぬのかということが、全く予測できないからだ。
癌の余命宣告でさえ、しょっちゅう狂う世の中だ。
平均寿命まで生きると予測し、そこまでに使いきろうとすれば、半分近い確率で、老後のお金が足りなくなる。
半分近い人間は、平均寿命よりも、長生きするからだ。
一方、百まで生きると予測してお金を使い、70歳で死んだら、かなりの額が余り、著者の言うところの「残念な末路」になってしまう。
妻に話したら、「お金を使いきったら、自殺すればいい」と言った。
なるほどと思ったが、さすがに著者の意図は、そこにはないだろうと思う。
そこまで考えたところで、はたと気がついた。
公的年金制度のない、アメリカでは無理だが、日本には、年金制度がある。
リタイヤしても年金を受け取らず、それまでに貯めたお金を使って、目一杯(現状では75歳)まで、年金を繰り下げ受給すれば、達成できるのではないかと。
例えば、65歳で定年になったところで、5千万円の貯金があるとする。
年間5百万円ずつ使って、10年間を暮らし、75歳になったところで、84%増しになった年金をもらい始めるのだ。
例えば、65歳でもらう年金が、夫婦で年間240万円だとすれば、75歳まで繰り下げることで、240万円*1.84=441.6万円を受け取ることができる。
手取りが、15%ほど少なくなると見込んでも、、額面で375万円ある。
75歳以降であれば、これくらいあれば、充分暮らしていけるだろう。
死んだ後は、年金はもう入って来ないのだから、これで、すべてのお金を使いきって、死ぬことになるではないか。
もちろん、夫が先に死んだ場合の、妻に入る年金額も計算しておかなければならないが、夫婦の年金が441.6万円あるなら、妻一人が、何とか生活できるくらいの遺族年金は、もらえる筈である。
本ブログでは、ずっと繰り下げ受給をすべき理由を説明してきたが、お金を使いきって死ぬという点でも、理に適っていることが、証明されたわけだ。