永らく塩漬けになってきた、『選択的』夫婦別姓について、やっと国会での議論が本格化する見通しである。
個人的には、選択的夫婦別姓は賛成であり、結婚後はかなり長期間にわたって、実践もしてきた。
守旧派が反対する言い分としては、「別姓にすれば、一体感が損なわれ、家族がバラバラになる」というものが大きい。
推進する賛成派は、「そんなことでは家族の一体感は損なわれない」と言うし、「実際に別姓を実現させている夫婦は、うまくいっている」とも言う。
しかしながら、守旧派の言い分にも、うなずけるところはある。
なぜなら、日本における大半の父親は、家族を一体化させる努力をしていないからである。
彼らは、朝早くから夜遅くまで会社に滞在し、下手をするとその後も飲み会で時間を潰し、家族のことは妻に丸投げだ。
諸外国の父親は、休みの日に家族と一緒に過ごすのが、何よりの楽しみであるのに、日本では、家族と時間を過ごすことを嫌がる。
家族と過ごすのが、「家族サービス」と呼ばれることからも、それは明らかだ。
休みの日に大半の父親がやりたいことは、「せっかくの休みなのだから、誰にも邪魔されずに一人でのんびり寝ていたい」か、「好きな趣味(ゲームを含む)に没頭したい」なのだという。
結果として、日本では父親と家族との間に、愛情は育まれない。
これで、『名字が同じ』でなくなると、家族を引き留めるものは彼が運んでくる給料しかなくなってしまう。
ずっと同姓が当たり前だった日本の社会の中で、姓が違っても家族でいられるためには、互いに深い愛情と信頼で結ばれていなければならない。
日本の大半の家庭には、そこが欠けており、別姓にすると、元々薄かった家族の絆が、決定的に壊れてしまうのを、心配しているのだ。
守旧派の人々は、本能的にそれをわかっているからこそ、ここまで反対するのである。
では、『選択的』別姓であれば、「あなたのところは同姓でも別姓でもいい」のに、なぜ、日本全国が同じでなければ嫌なのか。
それは、「うちは、別姓にすると、とてもやっていけないから、何としても同姓にしたい。だけど、隣の家庭が別姓にしてうまくやっていくのを見れば、妻も別姓にしたいと言い出しかねないから、何としても反対する」ということなのである。
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