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『修羅の門 第弐門』は、どうしてあそこまでつまらなくなってしまったのか(4)。

 さて、話は戻って、『修羅の門』のラストで、レオン・グラシエーロとの戦いを、相手を殺す結末で終えた作者は、「人殺しを英雄とするとは何事だ」という読者からの批判的な手紙にショックを受け、筆をおいた(と、あとがきに書いている)。

 

 この批判が当たっているかどうかはともかく、「どうして作者は、レオンを殺したのか。殺す必要はあったのか」という点については、筆者も疑問を抱いている。

 というのも、レオンに対する九十九の戦い方が、あまりに相手を舐めた、納得できないものであったからだ。

 最初に九十九は、何の工夫もせずに、レオンの得意な組み技を仕掛けている。

 「相手の実力をすべて出させずにはいられない」という、厄介な性分のせいらしいが、そこには、相手への尊敬の念が微塵も感じられない。

 その結果、寝技の駆け引きに負け、腕を折られる始末だ。

 圧倒的不利になった九十九が、そこから大逆転するためだけに、無理な奥義を引っ張り出して、レオンを殺してしまったのである。

 

 拳と蹴りを交えて堂々と戦い、結果としてグラシエーロ柔術の駆け引きが勝って九十九が不利になり、そこから逆転するために、結果として相手を殺してしまうというストーリーなら、問題はない。

 実際、第1部ラストの不破戦がそうだった。

 考えるに、作者はそのような展開になるような戦いの経緯を、創作することができなかったのではないだろうか。

 そのため、九十九を絶対絶命の危機に追い込まなければという苦心の結果が、あのような中途半端な戦いにさせたのではとさえ、思ってしまう。

 

 レオンの立場になったら、この戦いは、あまりに気の毒ではないか。

 九十九はレオンに「本気(ディアーボ)を出せ」と言いながら、自分の本気は出していない。

 そんな九十九につき合わされ、定石どおりに有利に試合を進めていたら、いきなり飛び道具が来たようなものだ。

 しかも、レオンは立ち上がるのがやっとなほど、ボロボロになってしまっている。

 そこまでレオンを貶めておきながら、最後に殺さなくてもいいだろう。

 

 もしかすると、手紙を出した読者も、レオンとの戦いがあまりにアンフェアであったため、冒頭のような感想を抱いたのではないかとさえ、思ってしまったのだった。

 

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