『修羅の門』の続編である、『修羅の門 第弐門』(以下、第弐門)を久々に読んだ。
最初の『修羅の門』は、何度も読み返したが、続編の方は、買ったときに一読したきり、本棚の隅で眠っていた。
続編は、大抵つまらなくなると言うが、その言葉をこれほど実現したマンガも珍しい。
再読したら、やはり、つまらなかった。
そこで、どうしてこれほどつまらなくなったのか、考えてみた。
まず、最大の原因は、主人公である陸奥九十九の立ち位置であろう。
最初に出て来たとき、九十九は挑戦者だった。
最初の相手は、過去の格闘技マンガの大半で主役を占めていた、極真カラテをモデルにした、神武館。
言うなれば、すべての格闘技ファンが認めるラスボスだ。
これをぶっ潰しに、それまで知られていなかった千年不敗の古流柔術の継承者が、山から降りて来たというのである。
そして、神武館のナンバー4からナンバー1を倒した後、キック、シュート、プロレス、投げ技ありの実践空手などを、片っ端から倒していく(第2部)。
かと思えば、次はなぜか、アメリカに渡ってヘビー級のボクサーと戦い、ヘビー級チャンピオンとなる(第3部)。
さらには、当時の格闘技界で無敵とされた、グレイシー柔術のトーナメントに出場し、神武館のブラジルチャンピオンや、グレイシーの最終兵器までも倒してしまう(第4部)。
このように、あらゆる場面で、九十九は巨大組織に戦いを挑む挑戦者であり、様々な不利を撥ねのけて、常に勝利を掴んで来た。
その一つ一つに、ワクワクさせられたものだった。
ところが、作者はここで筆を置いてしまった。
読者から来た、非難めいた手紙が原因らしい。
これについては、後述しようと思う。
(続く)
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