先日、歩道で、赤ん坊を自転車のチャイルドシートに乗せた女性が、立ち往生しているところに出くわした。
道に迷っているとかいうのではなく、ハンドルの部分が大きく左側に切れてバランスが崩れ、自転車が倒れそうになっていたのである。
慌ててハンドルを掴み、ゆっくりと、まっすぐな状態に戻してあげた。
では、なぜそれだけのことが、女性本人にはできなかったか。
右手に、スマホを持っていたからだ。
スマホを親指と他の2本の指で持ち、ハンドルは薬指と小指に引っ掛けていただけだったため、力が入らなかったのである。
スマホを手から放せば、ハンドルをしっかり掴むことができたろうが、路面に落ちて壊れるのが怖かったのか、それとも、半分パニックになって、そこまで思いつかなかったのか…。
育児中にスマホを使うことや、自転車に乗りながらスマホを使うことの是非が取り沙汰されている。
スマホは、SNSや動画のためだけでなく、様々な情報を知るツールであるから、「ながらスマホ」は、どんなときにもいけないと、決めつけるつもりはない。
だが、「自転車」と「赤ん坊」と「スマホ」の3つの同時使いは、どう考えても、無理なのである。
どうしてもスマホを使いたければ、自転車にホルダーなどを装備するべきだろう。
これで思い出したのが、日清戦争で戦死した、木口小平というラッパ手の話である。
突撃ラッパを吹いている最中に、銃で撃たれたが、絶命した後も口にはラッパがあったという。
「木口小平ハ 死ンデモ ラッパヲ 口カラ 離シマセンデシタ」として、戦前の修身の教科書に讃えられたらしい。
だが、「おせん」に出てくる海女の話(採ったアワビに固執して命を危うくする)で戒められているように、現実の世界で、木口小平になってはいけない。
赤ん坊とスマホ、どちらが大事かは、考えるまでもない。
いざというときには、「スマホを手放す」覚悟を、危険予知の一つとして、心得ておいてほしい。
--------------------------------------------------------------------------------
いつも、読んでいただき、有り難うございます。
記事が気に入ったら、下のバナーのうちどちらでもいいので、クリックして、応援いただけると、有り難いです。