前日も言及した、東名の夫婦死亡事故により、あおり運転は、(多少は)厳しく処罰されるようになった。
それでも、あおり運転はなくならない。
おまけに、あおり運転を擁護するような論調まで見かける。
典型的なのが、あおられる方にも責任があると言わんばかりの、「あおられ運転」という、とんでもない言葉である。
さらに許せないのが、「あおられないためにはどうするべきか」を、上から目線で講義してくる、自動車評論家の連中である。
何しろ、あおり運転をする連中(以下、煽ラーと呼ぶ)は、自分の前を遅い速度で運転していれば車間を詰めてくる。
そして、後ろから自分よりも速い速度で運転する車が来れば、無理なブレーキをかけて邪魔をする。
つまり、煽ラーというのは、自分よりも速い車も遅い車も許せないという、極めて困った性質を持っている。
本来は、他に車が走っている、道路での運転には向かない人間たちなのである。
こんな無茶苦茶な人間たちを、評論家連中は、なぜ庇うのか。
それは、評論家たち自身が、煽ラーと同じようなことを感じながら、運転しているからだ。
多少、人よりも運転がうまいと思っているだけに、本当は、とことん自分のペースで走りたい。
車のポテンシャルを思いっきり発揮したい。
だから、煽ラーと同じく、自分よりも遅い車も、速い車も邪魔でしょうがない。
「あおられるような運転をする人」は、見たくもなく、できれば、道路から消え去ってしまってほしいと思っているはずだ。
言い換えれば、評論家たちは、煽ラーの、傍若無人な真似が羨ましいのである。
できれば同じこと(遅い車を追い越し、速い車は邪魔をするか、さらに速く走る)をしたいと、本心では思っているはずだ。
もちろん、立場上、そんなことはできはしない。
煽っている顔をドラレコで撮られ、ネットにでも晒されれば、評論家生命はおしまいだ。
それゆえに、彼(女)らは、「あおり運転に合わないように」という美名の元に、「たらたら走るな」と、一般ドライバーに「忠告」するのである。
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