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岸田首相は、中曽根元首相の、何を真似るというのか

 安倍元首相が死去し、最大の後ろ盾を失った岸田首相が、今後の政権運営をどのように進めていくかということが、様々に取り沙汰されています。
 下の記事では、岸田首相は、「俺は中曽根を目指す」として、中曽根康弘元首相のスタンスを参考にするとあります。

 

gendai.ismedia.jp

 ここだけ読んで、私が想起したのは、中曽根氏が、弱小派閥の長でありながら、田中角栄元首相の後ろ盾を得て、首相になったときのことです。
 幹事長や官房長官などの重要ポストさえ自派から出せず、田中派(現平成研究会)に取られたことから、田中派の操り人形とか、「田中曽根内閣」とか、皮肉られていたのをよく覚えています。


 実際、田中氏は、ロッキード事件の刑事被告人でありながら、自民党第一派閥の実質的な長として、大平正芳鈴木善幸の両内閣でも圧倒的な影響力を保っていました。
 首相を誰にするかということも、田中氏の意志を無視しては決めることができず、闇将軍とかキングメーカーとか呼ばれたものです。
 あたかも、安倍元首相が、自民党第一派閥の長として、菅、岸田氏の総裁選で果たしたような役割を果たしていたのです。


 元々、中曽根氏は親米タカ派という評判であり、経済成長を最優先として親中平和路線を進めた田中氏とは、全く異なる政治信条を持っていたので、かなりやりにくかったろうと思います。
 ところが、中曽根氏が強運だったのは、そこからでした。
 約1年後に、田中氏がロッキード事件実刑判決を受け、その影響力が減じます。
 さらに、田中派の若手が、竹下氏を中心として田中氏から造反し、そのショックで田中氏が脳梗塞で倒れ、完全に政治生命を失ってしまいました。
 おかげで中曽根氏は、衆参同日選挙で大勝利を収めたことも手伝い、己の政治信条に沿った政治を行なって、長期政権を築くことができました。


 長くなりましたが、そういったわけで、岸田首相が「俺は中曽根を目指す」と言うのであれば、安倍氏が凶弾に倒れたことを奇貨として、安倍派の影響から脱して、自分の政治信条に沿った政治を行なっていくのだと思ったわけです。


 ですがこの記事は、途中から岸田氏のことは放り出して、安倍氏と中曽根氏の類似点ばかりを列挙しており、それでいて、岸田氏は安倍氏の意志を継ぐために、中曽根氏の政治姿勢を参考にするだろうと結んでいます。
 何だか、よくわからない記事でしたが、これも、岸田さんという人が、首相として何がしたいのか、どうにもよくわからないところから来ているのかもしれないと、そんなことを考えてしまいました。

 

 いつも、読んでいただき、有り難うございます。

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