よく使われる言葉に、「一国一城の主」というものがあります。
サラリーマンが家を立てて、「これで俺も一国一城の主だ」と、感慨深く言ったり、オーナー社長が自分を表して、「痩せても枯れても一国一城の主」とうそぶいたりします。
つまり、他者の援助を受けず、独立独歩でやっていけるようになったことを、自賛して使う言葉です。
ですが、最初、この言葉は、ほぼ反対の意味を持っていました。
かつて戦国大名は、自分の領国に、幾つもの城を持っていました。
そして、一族や重臣をその城に配置し、領国の守りを任せていました。
さもないと、主城を囲まれたら、身動きが取れなくなるからです。
ところが、豊臣家を滅ぼして戦国時代を終えた徳川家康は、諸大名に対して、1つの領国には、1つの城だけしか存在してはならないという、一国一城令を発布しました。
残りの城は、大名によって、すべて取り壊されました。
これが、一国一城の由来になります。
即ち、現在使われている、自分の実績を誇るような意味とは違い、本来は、一国には一城しか許されないというだけの意味だったのです。
「戦犯」という言葉も、全く違う意味で使われています。
最初は、「戦争犯罪人」の意味であり、敵国兵や民間人に対する、兵士の残虐行為を裁くためのものでした。
それが、第二次世界大戦において、ナチスのホロコーストなど、自国民に対する残虐行為にまで拡張され、さらには、侵略戦争を起こしたことまで、罪に問われるようになります。
東京裁判の「A級戦犯」は有名ですが、日本軍では、終戦後に現地で戦犯裁判を起こされ、BC級戦犯として死刑になった人が、934人もいるそうです。
即ち、戦犯というのは、戦争で残虐行為を行なった人間や、戦争を起こした責任のある人間に対して、死刑などを求刑する際に使う、大変重い言葉なのです。
それが今や、「戦犯は○○選手」といった、スポーツ新聞の見出しで、最もよく見かけるものになっています。
野球でサヨナラエラーをした野手や、サッカーのPKを外した選手など、試合で負けた原因となった人を追及するための言葉に、なり下がってしまったのです。
ここまで、軽くなってしまった言葉を、他に知りません。
ただ、戦犯となって死んだ人々に対して、あまりに失礼な言い方ではないかとも思うのです。
長くなりましたが、もう一つ。
故三波春夫氏が遺した、「お客様は神様です」というセリフも、意味がかなりねじ曲げられて使われているようです。
最初は、「聴衆を神様だと思って、謙虚に精一杯唄いなさい」という、彼の唄に対する心構えを表わした言葉だったそうです。
それが今や、「お客様は神様だから、何をされても我慢しなさい」という、とんでもない考え方になってしまいました。
おかげで、小売業や観光業など、人に接する仕事をする人は、必要以上の苦労を強いられます。
従業員教育やクレーム対策が必要になり、その分のコストは、結局は買い手に跳ね返ってくるということを、忘れてはいけません。
ちなみに、外国に出ると、こんな考え方は通用しません。
売り手が商品を渡し、買い手がお金を渡します。
売り手と買い手は、五分五分です。
そこには、神様は存在しません。
これがいいか悪いかは、民族性に関わってきますので、何とも言えませんが、日本のやり方が、すべての商品の価格を上げていることは、間違いがないと思います。
■ □ ■ □ ■ □ 昨日の家事 □ ■ □ ■ □ ■
・自分の分の朝食作り
・昼食器洗
・自分の分の昼食作り
・風呂掃除
・夜食器洗