日本人は、世界でも有数の、風呂好きの民族のようです。
(尚、ここでは、「風呂」というのは、浴槽にお湯を溜めてそこに浸かることを指します)。
これを、やはり有数の風呂好きだったとされる、古代ローマ人と結びつけて、面白おかしい作品に仕立てたのが、ヤマザキマリさんの、『テルマエ・ロマエ』です。
実際、南の国ではシャワーが大半で、ホテルに泊まっても、よほど高級な部屋でないと、浴槽そのものがありません。
沖縄に住んでいる、内地出身の知人も、沖縄にいる間は、風呂に入らなくても気にならないと言っていました。
一方、北欧など北の国では、サウナ(蒸し風呂)の習慣が多く、やはりお湯を張った浴槽に漬かることは、珍しいようです。
しかしながら、日本では、シャワーを使うだけよりも風呂に入ることのほうが、健康にも睡眠にも数倍良いと信じられています。
ただそれにしては、人生に疲れているのは、どちらかと言えば日本人の方ですから、風呂の効用は、日本人にしか効かないのかもしれません。
尚、日本人が大昔から風呂好きだったわけではなく、お湯を張った風呂に入るようになったのは、江戸時代からだそうです。
そして、毎日、風呂に入るようになったのは、80年代くらいからではないかと思います。
何しろ、私が小学生の頃は、家にまだ風呂がありませんでした。
毎日、銭湯に行くほどの、お金も時間もなくて、風呂は、週に2,3回くらいでした。
毎日、風呂に入るというのは、家に浴槽がないとできませんから、国が豊かになったしるしです。
ですが、今はそれが行き過ぎて、一日でも入らないと、耐えられないというように、なってしまっているような気もします。
災害の際のインタビューでは、命からがら助かった人でも、「お風呂に入りたい」というセリフが、必ず出てくるほどです。
ちょっとした断水程度なら、「風呂に入れなくて困っている」という、役所を責めるセリフが出てきます。
それにしては、万が一に備えて、風呂に水を溜めておくということをしておかないのが、不思議でなりません。
一人くらいはインタビューで、「うちはいつも水を溜めてあるから、不自由はありません」というセリフが出てきても、おかしくはないかと思うのですが。
それで思いついたのが、コロナとマスクの関係について書いた、下の記事です。
もし、「風呂に入ることで、コロナに感染する危険性が急増するから、コロナが収まるまで、風呂に入ってはいけない」と日本人が言われたら、どうするでしょう。
いくらコロナが怖くても、周囲の人にわからないように、こっそりと風呂に入ってしまいそうな気がします。
【訂正】我が家のボイラーでは、断水の時に、追い焚きができないということが、判明しました。水の逆流を、防ぐためだそうです。