「60歳からの勉強法」の、中身の方に移ります。
本書でも、若い頃(高校まで)は、ひたすら詰め込みで受験勉強をやって、基礎学力を高めろと言っています。
日本の、知識偏重教育は、海外でも高い評価を受けているとまで、言い切っています。
ところが、大学教育となると、一転して、それでは駄目だと主張します。
受験勉強のように、回答は1つという考え方では、これからの世界で通用しないため、大学では、柔軟な考え方を身に着けろと言っています。
まず、ここでおかしいと思ったのは、大学(以下、短大も含む)に入らない人は、どうするのかという話でした。
確かに、今や日本の大学進学率は、5割を越え、過去最高となっています。
ですが、大学に行かない(行けない)人は、まだ半分近くいるわけです。
本書は、これらの人々を、完全に置き去りにしています。
まるで、大学に行かない人は、高校卒業後は、勉強をしなくていいかのようです。
さらに著者は、大学に入って詰め込み教育をやめさえしたら、すぐにでも柔軟な考え方が身に着くように言っています。
ですが、18歳まで、それが人生の唯一の道であるかのように、ひたすら詰め込みだけをやった人間に、大学からは違う考え方をしなさいと言って、そう簡単に切り換えられるものでしょうか。
頭が柔らかい年少のうちに、詰め込み教育だけでないトレーニングをして、柔軟な考え方を身に着けさせておかないと、18歳になってからでは、遅いのではないかと思います。
それを目指して、教育改革の一環として考えられたのが、ゆとり教育ではないのでしょうか。
ゆとり教育では、円周率が3だと教えているところが、目の仇にされました。
実際には、円周率を3と教えたというのは誤解だそうですが、たとえ、円周率が3であっても、いったい誰が困るというのでしょう。
実際の生活では、円周の長さを見積もるときには、たいてい直径の3倍で計算しているはずであり、それで不都合はありません。
それこそ、円周率が3.14だから、電卓を出さないと答がわからないと悩むより、よほど柔軟な考え方のように思います。
そもそも、ゆとり教育が悪いから、日本の競争力が、落ちたわけではありません。
日本経済の凋落は、延々30年間にわたっており、その責任は、高度成長期の成功体験を忘れられなかった、私を含む、現在50歳から80歳くらいの世代にあります。
その世代こそ、柔軟な考え方を持たず、上の世代のやることを疑問も思わずに繰り返し、下の世代から新しいものが出てくると片端から押さえつけていた世代なのです。
著者の本に関する最後の疑問は、大学に進学したら柔軟な考え方をしなさいというのはいいが、その柔軟な考え方を、いったい誰が教えられるのかということです。
上述したように、現在50歳より上の世代は、古い考えに凝り固まっており、特に大学の先生というのは、そもそも、詰め込み教育を、勝ち抜いてきた人たちです。
また、大学入学後も、自分の専門分野を突き詰めることに、ひたすら精力を傾けてきた人たちであり、さほど柔軟な思考法を教えることができるとは思えません。
自分はこれでやってきたのだから、昔のやり方がいいと、考えを変えないのではないでしょうか。
そもそも、大学は今や独立法人ですから、文部科学省が教え方を指示しても、従わない恐れもあります。
知識の詰め込みが悪いとは言いませんが、やはり義務教育の段階から、議論を戦わせるやり方などを教え、柔軟な思考方法を育てる準備をしておくべきだと思ったのでした。