定年後の、勉強方法の参考になるかと思い、「60歳からの勉強法」(和田秀樹著 SB新書)という本を読みました。
ざっくり言えば、年を取ると、それまでのインプットばかりではなくて、アウトプットも大事になるという話でした。
以前にちきりんさんのブログで読んだ、ライフネット生命の創業者の出口治明さんと、ちきりんさんの対談を、思い出しました。
出口さんは、もっぱらインプットが大事と主張していたのに対し、ちきりんさんは、インプットした分を、アウトプットしないと意味がないと主張しています。
著者の和田秀樹さんは、若いうちはどんどん詰め込んでインプットすべきだが、年を取ったら、インプットばかりでは駄目で、アウトプットしていかないと、知識が無駄になるという主張で、二人の中間的な意見です。
そのあたり、ちきりんさんが言うように、世代と、育ってきた環境で、差があるのかもしれません。
それはともかく、上記の「60歳からの勉強法」では、細かい部分で引っかかるところが、結構ありました。
まず本の最初で、人生100年時代を心配する編集者たちが、定年後に何をしたらいいかわからないのを嘆いているという話から始まります。
そこで著者は、定年後は勉強をしつつ、その結果をアウトプットすることで、人生を豊かにするべきだという持論を繰り広げるわけです。
ですが、なぜそこで、家事をすればいいじゃないかと、アドバイスするという発想が出て来ないのでしょうか。
人生100年と言うなら、定年後は、人によっては30年以上もあります。
その間、ずっと奥さんだけに家事をやらせることに、全く疑問を持たないというのが、どうにも理解できません。
また、この本の中には、働いていた妻や独身女性が、定年後に何をするかという話もありません。
勉強したり、自己研鑽したり、趣味を楽しむ権利があるのは、男だけだと言わんばかりです。
そもそも、この本に限らず、男が書いた「定年本」の大半では、定年後に一番大事な、家族がほとんど出てきません。
専業主婦の妻を持っている、男のみを対象にしており、会社の仕事を失った後に、有り余る時間で何をすればいいかという話ばかりです。
たまに妻が出てきても、いかに妻の機嫌を取るかという話ばかりで、妻が家事を一手に引き受けているところは、殆ど変わりません。
夫が、暇だと嘆いている間、妻は、自分の時間を犠牲にして、夫のための家事をすることが前提になっており、それを誰も疑問に思いません。
まるで、男性は、定年後も、会社に通勤しないだけで、そのままの生活を送る権利があり、女性は、男のためにひたすら家事をする存在であれと、言っているかのようです。
しかも、夫が会社にいた間は、昼食は外で食べていた上、夕食もときどきは外で飲んで帰ってきたかもしれませんが、その面倒も見なければなりません。
年金がもらえるのは、俺がこれまで働いてきたおかげだと思っているかもしれませんが、定年前にもらっていた給与に比べ、かなり収入は低くなっています。
その上で、妻は、夫の昼食という家事の負担が増えるのですから、邪魔にされるのも、仕方ないという気がしてきます。