本記事で主張してきたように、2千万円問題の本質は、「2千万円ないと飢え死にするよ」というのではありません。
問題は、「今後、厚生年金でさえ、最低限度の衣食を保障する程度のものしか、あげられませんよ」というところにあります。
つまり、生活必要経費以外にかかるお金は、年金をあてにせず、自力で何とかしなさいと言われているのです。
生活必要経費以外とは、旅行や観劇、外食、宴会、趣味などの、「娯楽活動」にかかるお金です。
そのお金が、平均すると月に5.6万円、定年後30年生きるとして、2千万円。
2千万円問題とは、ここから来ています。
だから、娯楽活動を全くしないで生活できるということなら、2千万円問題は考える必要はありません。
極端な話、住むところと年金さえあれば、貯金をする必要もないのです。
では、娯楽活動の全くない生活というのは、どんなものでしょう。
旅行にも外食にも行けず、お金がかかるから人とも会えない、辛うじて電化製品などを買って、家でTVやネットで暇を潰すという毎日。
それはまさに、今回のコロナ禍での生活ではないでしょうか。
ウイルスと金欠病という、原因の違いはありますが、外に出てお金を使えなかったのは同じです。
外食にも旅行にも行けず、近くの友だちにも、同居している以外の家族にさえ会えず、殆ど楽しみがありませんでした。
食べていけさえすれば、金のかかる娯楽など必要ないと思っていても、コロナ禍を1年以上経験してみると、考えが変わったのではないでしょうか。
それでも、コロナ禍が終わりさえすれば、出かけて楽しめると思っていたからこそ、この砂を噛むような生活にも耐えられました。
老後に娯楽活動ができないというのは、そんな生活が、一生続くということです。
それが嫌なら、働き続けるか、お金を貯めるしかないのです。
評論家や、ファイナンシャルプランナーの方たちは、恐らくそんなことは、百も承知でしょう。
わかっていながら、わざと危機感を煽ったり、逆に慰めたりしています。
こうして、問題を鎮静化させないようにして、自分の仕事を増やしているわけです。